その日、六つ星レストラン「ホテルグルメ」にある人物の予約が入った。
六つ星が付いているだけあってホテルグルメはそこらの食堂にふらっと入るような格式の店では無く(稀に食堂と思っている人物もいるが)当然ドレスコードもあるレストランであるから、ホテルの宿泊客以外にも記念日や何らかの特別な理由でレストランを利用する客も多い。
つまり同伴者が居る客層であり、一人での予約は大変珍しかった。
だが珍しくはあったが、純粋にシェフの味のファンという客も多かったから、そういった予約が無いわけでは無い。
無いわけでは無かったが、目立ったことは言うまでもない。

「男性の、お客様ですか?え?お1人様?」
グルメレストランの料理長である小松は、一ヶ月分の予約リストに目を通し、副料理長と打ち合わせをしている最中、一人の予約客に目がとまった。
小松の驚きを受けて、その客に覚えがあった副料理長が補足説明をする。
「ああ、そのお客様ですか?急な予約だったらしいんですが、お1人様だから多少無理は利くだろうと、フロアマネージャーが予約をお受けしたんですよ。」
「そう……。わッ、でもこの予約メニューって……こんなのウチで用意できるの?」
ホテルグルメでは予め食材のリクエストをしておけば、その食材でフルコースメニューを提供してくれるのだ。
その場合、大いにシェフの力量が試されるので、食材リクエストがあった時、小松は普段とは別種の緊張感が湧いてくる高揚に胸を躍らせた。
しかもその予約客がリクエストした食材は、そんじょそこらの食材では無く、IGOが提供する各食材の捕獲レベルでいっても、一桁の食材など一つも無かった。
「それなんですが……何かお客様自身が用意をするので心配ないと……それと料理に必要なスパイスや何かも指定してくれれば、お客様がご用意してくださるようですよ。」
「ああ、だから僕に話を通さずに予約を受けたのか……。」
普通であれば食材の管理も料理長の仕事であるから、食材リクエストがあった場合、必ず小松に話がいくはずなのだが、今回はそれが無かった。
「小松料理長だったら相談しなくても、これ程の食材を調理できると分かったら必ず引き受けるから、相談しなくていいって、フロアマネージャーが……・」
「あはははは……当たりです。」
自分を信頼しているというよりも、料理バカの自分の性格を熟知されている印象が強い。
「でも、トリコさんじゃ、ないよね?」
トリコも時折食材持参で小松に料理を頼むことがある。
「トリコ様じゃないですよ。ええと大きい会社の重役か何かだそうです。」
「そう、まあ肩書はいいか。それよりもこれ程の食材をリクエストしてくるって事は、この食材を熟知しているっって事だね。ああ、今から緊張してきたよ。頑張るぞッ!!」
(……ほんと、料理バカだなあうちの料理長……)


当日。
一人の客がホテルグルメを訪れた。
予約していたらしく、短くマネージャーに名前を告げると、そのままボーイに席に案内された。
その間、よく教育がされているホテルグルメの女性スタッフでさえ、ほんのりと頬を染めてしまう程、その男は美丈夫だった。
良くこのレストランを訪れる美食屋トリコと比べても遜色が無いほど大柄な男だったが、不思議と野卑た感じはなく、むしろその巨体からは想像がつかないように静かに動作だった。
顔半分に大きな傷があるが、そんな傷など気にならない、むしろ男の美形振りに拍車をかけるものでしかない。
切れ長の目に隙の無い口元。
客は個室希望だったが、部屋へ移動する途中はどうしても他の客の目にとまり、一瞬フロアが沈黙に包まれたほどだ。(女性客はほんのりと頬を染め、同伴の男性客をやきもきさせた事は言うまでもない。)
そして挨拶に訪れた小松もまた同様、描いていた想像をいい意味で裏切った客に一瞬言葉を失い見入ってしまった。
「このレストランでは、客をそんな不躾に見るものなのかな?」
客は別段気分を害した口調では無かったが、軽く咎められ小松は顔を青くして平謝りした。
「た、大変申し訳ありませんでした。配慮が足らずお客様に不快な思いをさせ大変申し訳ございませんでした。ご挨拶申し遅れました、今回お客様のフルコースを担当いたします小松と申します。」
「……料理は、裏切らないでほしいものだ。」
「ッ!は、はいッ!!誠心誠意努めさせていただきます。今日はごゆるりとお楽しみください。」
釘を刺され一瞬ヒヤリとしたが、それだけやりがいがあるというもの。
小松は気持ちを一瞬で切り替えて料理に打ち込んだ。

デザートが終わり、食後のお茶に小松は花茶を選び客の元へと挨拶に訪れた。
小松は中国式にその場で茶を淹れるため、中国茶専門の女性と共にワゴンで一式を部屋に運び入れ、茶を仕立てる。
「どうぞ。」
女性がそっと差し出した中国茶器からは、花茶の爽やかな香りが蓋をしていても漂ってくる。
客が蓋をしたまま茶を一口含むと、静かにうなずいた。
その頷きを合図に、彼女は深く礼をして部屋を後にした。
暫く部屋には、沈黙が流れ小松は気が気では無かったが、自分から言葉を発するのも失礼にあたると手に汗をかきながら客の言葉を待った。
客は花茶を半分ほど楽しんだ後、おもむろに小松に視線を向けた。
「……何故、花茶を?」
スタンダードでいけば、食後はコーヒーか紅茶、食事もどちらかというと洋のスタイルの物が中心だった。
だが最後の締めに何故中国茶を持ってきたのかを聞いている。
「あ、はい。今日お客様がリクエストされました食材は、全体的に脂身が多いものが中心でしたので、余分な臭みを含む油を落とすために油を用いました。ですので食後はなるべく胃に負担の少なくかつ余韻を邪魔しないものをと、このお茶を用意させて頂きました。」
「なるほど。ところで、シェフは茶を嗜まないのか?」
「家では勉強も兼ねて色々なお茶を飲みますが……」
「中国茶は?」
「はい、中国茶も時折家で楽しんでおります。」
「では何故今回のお茶もシェフが淹れなかったのか?フルコース全て小松シェフ一人で作ったものだろう?では最後までシェフが責任を持たなくては。」
「も、申し訳ございません。僕の勉強不足でして、流石にお茶まではお客様にお出し出来るレベルには達しておりませんので、今回は当ホテルでも一番の淹れ手の方にお願いいたしました。」
「彼女の腕には問題は無い。だが私は、最後まで貴方のフルコースが食べたい。最後まで、だ。」
そう言いながら客は、呑み終わった茶器を横に寄せ小松を見つめた。
その意味を汲み取った小松は最初こそ戸惑ったものの、自分の料理を最後まで食べたいという客に応えなくてどうすると自分を叱咤し、深々と腰を折った。
「畏まりました。未熟な腕ではございますが、最後まで僕の料理をご堪能下さい。」
そう言って、新しい茶器を取りもう一度花茶を淹れ始めた。

小松が淹れた茶を、客は何も言わず飲み終えると、ふうと一息入れ小松に視線を戻す。
「小松シェフ、少し話がしたい。席に座りなさい。」
「え?!し、しかし……」
「客の我儘をすべて聞けという無理強いはしないが、これくらいの我儘は聞いてほしい。」
「は、はい……では失礼します。」
客の向かい側の席に座る小松。
それと入れ替えに客が立ち上がると、中国茶一式が乗せられたワゴンの前に立ち、何と自ら茶を淹れ始めた。
「あ、あのお客様ッ!!」
「私が好きでしていることだ。そのまま見ていないさい。」
そう言うと、客は手馴れた手つきで茶を淹れ始めた。
そして、その所作に小松は衝撃を覚えるほど見入ってしまった。
鍛え上げられた太い瘤と、太い指からは想像もつかないほど優美に動いていく。
茶器を暖める工程、湯で茶葉の埃を落とす工程、湯を入れ茶を蒸らすためもう一度湯を掛ける工程、どれもこれも単純な作業だ。
だが何故同じ事を違う人間がやるだけでこうも違うのか。
言っては悪いが、先ほどの中国茶のソムリエの手が児戯に見えてくるから不思議だ。
そして、先ほどとは比べ物にならないほど薫り高い花茶が小松の前に呈された。
「さあ、飲みなさい。」
「あ、あの……では、頂きます。」
断ろうかと思ったが、小松の鼻を優美にくすぐる香りに負けて客の言葉に甘えることにした。
「!!!!」
一口含んだだけで、まるで身体全体に広がるような清涼感と重厚感。
たかが茶、されど茶。
「おいしい……」
思わず呟いた言葉に、客はこの日初めて笑みを浮かべた。
「あッ!す、すいませんッ!!!」
「せっかくの花茶だ。本来の実力を出してやらねば可哀そうだ。」
その言葉に、小松は大いにへこんだことは言うまでもない。
自分には、素材を生かし切れていないと言外に言われているように思えてならなかった。
だが……
「茶に関してはまだまだだが、今回の料理、悪くはなかった。」
「ほ、本当ですか?」
「だが、まだまだ精進が足りないようだ。これからの小松シェフに期待しておこう。もっともっと腕を磨きなさい。世辞ではなくなかなか美味しかった。」
決して優しくはないが、そのストレートな言葉と期待という言葉に小松は奮い立った。
これ程の茶を淹れる人が、自分に期待している、楽しみにしていると言ってくれたのだ。
料理人冥利につきるというものだ。
「はいッ!こちらこそあれ程の食材を調理させて頂きありがとうございましたッ!もっともっと腕を磨きます!!出来れば、またお客様に召し上がって頂きたいですッ!!」
「もちろん。そのつもりだよ。」
小松は、その時嬉しさのあまり見てはいなかった。
客が最後に見せた、眼の奥に光る欲望を。


「食事中だったかな?」
トリコがそう尋ねれば、その客はゆっくりと振り向いた。
後ろ姿と、その声に一瞬わが耳を疑った。
あの時身にまとっていた雰囲気は、今のような気配では無く、穏やかに漂うものだったはずなのに。
「あ、ああ……」
今彼は構えてはいないが、間違い無くあの洞窟の砂浜で感じた底なし沼のようなどんよりとした恐怖。
その気配が小松を容赦なく包みこみ、かつて訪れてくれた時の人物とイコールで結びつけない。
小松の様子がおかしい事に気がついたトリコが、怪訝そうに小松を窺う。
「どうした小松?小松!?」
見れば小松は泣いていた。
それは恐怖からでる涙では無く、悲しみに彩られた絶望の涙。
「……花茶は、上手く淹れられるようになったか?」
「ううッう……いえ、まだ、まだまだです。あな、貴方にはまだ、追いつけないですぅ……。」
「お前なら、直ぐに私に追いつくさ。」
「ううう、うううッ……な、何で、何であなたなんですか……もう一度、貴方に、貴方に食べて頂きたくて……僕は、僕はぁ……」
「お前、小松に何をした?」
小松の打ちひしがれる様子に、トリコは小松をそっと背に庇いながら男を威嚇する。
「ここで殺るか?」
「ああ、それもいいな。」
その言葉にトリコは素早く臨戦態勢に入るが、男はその遅さに鼻で笑う。
「遅い。臨戦態勢に入るまで0.5秒。10回は死んでいるそ。」
「!!」
「心配せずともここでお前たちを殺す気はないさ。今日は食事に来ただけだからな。」
そう言ってトリコの後ろに庇われた小松にふと視線を合わせる。
「お前の料理も、楽しみにしている。」
そう言いながら男はゆっくりとトリコの横を通り過ぎる。
(いずれその小僧も、もらい受ける。それまで私の他の誰にも取られんようにしておけ。)
「!!」
頭に血が昇り、手が出そうになったとき、男はごく軽くぽん、とトリコの肩に手を置いた。
ただそれだでトリコは死を予感し動けなくなった。
そのトリコの様子に男は満足げにうなずいた。
「いい反応だ。これでお前が反撃すれば一瞬でカタががついたのに、残念だ。」
そして男は静かに店を出ていった。


「……小松、奴とは一体……」
「うう、トリコさん、トリコさんッ!」
小松は更に泣きじゃくる。
トリコは思わず小松を抱きしめる。
「小松……」
「トリコさんッ!」
小松は、いつまでもトリコの胸で泣き続けた。




その花茶を口に含んだ時、ふわんと何かに身体を包まれたような感覚にみまわれた。
決して上手いとは言い難い茶ではあったが、彼が一心に自分の為に茶を淹れる姿に、少しばかりの感動と憧憬を抱いた。
自分には決して真似が出来ない。
そして茶には、誰かの為にと思う彼の一途な思いが伝わり何とも言えぬ暖かさがあった。
それは他の料理も然りである。
舌だけでは無く、心も満たされた感覚に、あの時どうしてもこの小さなシェフが欲しいと思ったもだった。
だがあの時、まだまだ成長途中である彼の芽を摘まないためにあえて、そのままにしておいた。
これからもそのつもりでいる。
だが……
「だが最後は、必ずお前を奪うぞ小松シェフ。」
そう呟きながら、男は闇の中に消えて行った。






まあ、ありがちですが基本は押さえておきたいな、と……
中国茶に関するあれやこれやは適当ですので、あまり突っ込まないで下さい(切実)
※プラウザバックプリーズ