(……ああ、お母さん、お父さん、僕は今人生において最大のピンチに立たされています。)






そう、僕は今人生最大のピンチに陥っている。
ごく普通の子供時代を過ごして、ごく普通の家庭に育った僕は、これと言って落第点もなく、かといって突出した特技も無かったが、唯一料理は好きだったので結構軽いノリで料理人を目指した。
このグルメ時代において料理人はそれこそ星の数ほどいるが、逆に言えば需要が半端無くあり職にあぶれる事が無いといった、打算的な考えもあったことは否めなかった。
それが運よく五つ星レストランで見習いとして紛れこめたのも、運が良かったといえた。
だがその運を総動員しても、今の状況を覆すにはまったく足りてないと、僕は自身の運命を呪ったりしている。


僕は今グルメフォーチュンの、ある超有名な占い師の仕事場に来ている。
いや、正確に言えば拉致られた。
もっと正確に言えば、化け物みたいに大きなカラスに、それこそ文字通り摘まれながらホテルグルメから900kmも離れたここへ連れてこられた。
ああ、途中の空中散歩は本当に天国かと思うほど素晴らしかったよ母さん。
ちょっとだけ、去年死んだじーちゃんが必死でこっちに来るなって雲の上から手を振っていたっけ。
そんな事を思い出しながら視線を移せば、目の前には四天王の一人、そしてカリスマ占い師でもあるココが鎮座している。
「そんなに緊張しないでほしいなあ。さあこれでも飲んで。」
そう言って差し出されたのは水道水。
とりあえず目の前に差し出された水道水を僕は喉が鳴るほどの勢いで煽った。
……それほど疲れているのだ。
だがココさんは水道水を出した後、そのまま入口に向かい扉にごそごそと細工をしている。
ちなみに今日は定休日だそうだ。
最後のがちゃりと金属音がしたのは気のせいだろうか?
「……あの、か、カギを締める必要があるのでしょうか?」
「え?やだなあ、用心のためだよ。ここ数年物騒な強盗が出てるからね。」
……つうか四天王の一人ココの職場を襲う勇気ある強盗はまず居ないのでは?という疑問は軽くスルーされた。
ココさんは優雅な動作で僕の前に再び座ると、これまた優雅に手を組んでその上に優雅な顎を乗せて優雅ににっこりと笑った。
……正直、これ程怖い笑顔を僕は生きていた中で初めて見た。
目が笑ってないって、こういうのを言うんだ。わーい。
「さて、君を呼び出したのは他でもない。」
呼び出された覚えも無ければ訪れた覚えも無い。
だって攫われてきたのだ。
その事に突っ込みを入れる雰囲気では無かったのでそこは大人しく聞く僕。
いいんですよ。基本小市民ですから。
「君に頼みたいことがあってね。聞いてくれるかい?」
いやあの、頼むとか言っておきながら鍵閉めてるし、どっちみち僕には断るって選択用意してませんよね?
と、思うのだがやはり怖くて言い出せない僕は、壊れた赤べこのように首を上下にこくこくと降り続けた。
「ふふふ、素直な事はいいことだ。人生生き残る為には素直さも大事だ。」
その「生き残る」という言葉は勝ち組負け組といった意味合いでは無く、文字通りサバイバルの生き残るニュアンスがぷんぷんした。
「君はグルメホテルで料理人として働いているんだよね?」
「あ、はい。正確には見習いですが……若輩ながら働かせて頂いております。」
「本当にね……身の程知らずが……」
おおう、今ちらっと聞こえた小声の意味を僕の脳味噌が拒否してる。
「ああ、気にしないでね。独り言だから。」
聞こえるように言うのを独り言というのがココさんの世界なのだろうと、無理やり納得した。
「でね、料理長の小松君、知ってるよね?君の上司だ。」
「は、はい。年若いのに五つ星レストランの料理長を務めているなんて、すごく尊敬してますッ!」
「……ちッ、モブ風情が……。」
今、今何か言いましたよね?言いましたか?あ、きっと気のせいだ。じゃなきゃ今走馬灯が駆け巡りそうで怖いじゃないか。うん、僕の自己防衛本能が告げている。
「ああ、ほんと気にしないでねッ!僕のひとりごとv」
ああ、何て爽やかな笑顔だろう。
これが世の女性たちを虜にして止まない占い師ココかあ……。
例えその言葉に含まれる毒で心停止しようと、悪いのは僕になるんだろうなあ……あ、遺書書いておけばよかった。
いや、遺書書く暇なんてなかったんだけどねvあははは、もう笑うしかねえ……。
「ん、まあ、君が尊敬してやまない小松シェフの事なんだけど……。」
ん?今一瞬ココさんの頬が赤くなったような……しかも、これって、照れてる?
「彼の情報を逐一僕に知らせてほしいんだ。それと彼の写真もばっちり撮ってきてほしい。」
「……………え?」
「そうだなあ、朝出勤してきたちょっとお寝坊さんな小松君とか、仕事に集中している小松君、それと休憩中の気の抜けた色気たっぷりの小松君とかあとはできれば自宅でくつろいでいる小松君とか欲しいところだね。あとは……」
「いやいやいやいやッ!!ちょっと待ってっ下さいッ!!」
「それと小松君のスケジュールは勿論、有休の残日とか出席するパーティのスケジュールも教えてほしい。それとこれ一番大事なんだけど、彼を訪ねてきた美食屋とか再生屋とか、ぶっちゃけ彼に会った人間全部教えてほしいんだ。」
「ちょっと待って下さいって言ってるじゃないですかッ!」
「え、何で?君に質問する権利なんてあるの?モブでしょ?」
「いや確かにモブですけどッ!!モブなりにも生きてますからッ!!それどう聞いてもストーカーですからッ!!」
「違うよ。行動するのは君だから、君がストーカーであっても僕は違うでしょ?」
「指示してるのはあんたですから同じですよッ!!というか僕に頼まなくても他の人間でもいいでしょ?それにココさん程の人間なら色々コネとか使ったり能力使ったり他の人間を巻き込まなくてもそれくらいの事出来るんじゃないんですか?」
「出来るよ。」
きっぱりと言いやがった。
「だったら……」
「正直、僕の特殊な能力を使ったり、IGOのネットワークとかを駆使すれば別段難しい事じゃないんだ。特殊能力を使えば彼が嘘を言ってるのか、今日どんな人間にあったとか、これからのスケジュールとかも分かる。だけどそういうのはフェアじゃないと思うんだ。それに不本意ながら有名人な僕が動けば、必ず小松君に迷惑がかかる。マスコミを黙らせるのなんて簡単だけど、そういう噂を一片足りとも小松君の耳に入れたくないんだ。」
「……」
正直、驚いた。
これまで噂や雑誌、テレビで騒がれている美食屋、占い師ココのイメージと大分かけ離れていたからだ。
四天王の一人で、占い師で、美形で、女の子にもてて……男として羨ましいとか憎らしいとか思った事もあった。
だけど、今目の前の人は、ただ一途に、一途すぎて手段を間違った方向に使ってるけど、小松料理長の事が……
「好きなんですか?」
「勿論。」
躊躇いもなく告白する笑顔は、男の僕から見ても眩しいほどだった。
「でも、何で僕に……」
僕はいたって平凡な人間だ。
僕よりももっと優秀な人間がいるだろうに。
そう言うとココさんはこれまた爽やかな笑顔で。
「平凡だからだよ。そつなく仕事をできるだけの頭と、適度に小市民で何より……おっと失礼。」
……その続きが何となく想像できた僕はただ青くなるばかり。
「まあ一方的にお願いするのもフェアじゃないからね。協力してくれればそれなりの報酬を用意している。」
報酬、と聞いて僕は不本意ながらぴくりとしてしまった。ああ、この辺が僕を選んだ理由なんだろうな……
「君が今片思いを寄せている女性。いるよね?」
「!!!!!な、ななんな、何故分かるんですか?」
「僕は的中率97%の占い師、ココだよ。」
「はあ、まあ、いますね。」
「その子を落とせる的確なアドバイスを、僕が視てあげるよ。なんならセッティングもしてあげよう。」
「ま、まじっすかッ!!」


男は正直な生き物だ。
脳と下半身は直結した生き物だ。
目の前の人参がたとえ毒入りだろうが、食いつかずにはおれない愚かな生き物だ。
僕はその日から、ココさんのスパイとなり小松シェフの委託ストーカーになった……。
小松料理長、ごめんなさい……。








「あ、料理長、社内誌に載せる写真を撮りたいんでポーズお願いします。」
「え?担当君になったの?」
「はい、調理部門の記事は僕が担当になったんで、あ、コックコートは脱がないでいいです。むしろそのままってリクエストなんで。」
「リクエスト?」
「いや、何でも無いです。できればコックコートの襟をもうちょいはだけさせて……」
「ええ??」
「いやタイトル休憩中の料理長にしようと思うんで……」
「ふーん……変なの。まあいいや。はい、これでいい?」
(ううッ、料理長ごめんなさいッ!!)
「ばっちりですッ!!!」
ぱしゃぱしゃと写真を撮りながら、何気なさを装い料理長のスケジュールを聞く。
「そういえばこの間有休申請してましたね。どこか行くんですか?」
「うん、トリコさんからハントのお誘いがあって僕にも来ないかって言ってくれたんだッ!僕嬉しくてッテンションメガメガッ!あ、ごめんね?仕事をお休みしちゃうけど……」
「な、何言ってるんですか。今まで使ってなかった有休を消化してるだけですし、むしろ今まで働きすぎたんですから行ってきて下さいよ。」
「うう、ごめんね。それにありがとうッ!!」
(う、む、無邪気で悪意の無い笑顔に思わずシャッター切っちゃった。ご、ごめんなさい料理長。たぶんこの写真、夜のおかずに使われると思いますッ!)
罪悪感に苛まれながら、僕は延々とシャッターを切り続けていた……


後日、写真と小松スケジュールは無事ココの元へと届いた。
「ふ、さすが現場クオリティー。普段見た事もない小松くんがいっぱいだvv」
なんて、ほくそ笑む占い師が一人……






策士ココ?いいえ、単に愛(小松)に盲目なだけです。(キパッ)